2010年1月30日土曜日

当たり前の知識がなぜ使いこなせない?

ブログのエントリをサボっていたら、あっという間に一ヶ月。1月のエントリがゼロというのも寂しいので、このあたりでひとつアップしたいと思います。



さて、池田信夫氏の最近のブログエントリーで、最近の政治家は、大学1年生のマクロ経済レベルの常識も知らないことを嘆いています。氏のおっしゃるとおり、その知識レベルで、何十兆もの国家予算が動かされていると思うと、確かに恐ろしくなります。



この事実に象徴されるように、「当たり前の常識が使いこなせない現象」が最近は増えているのではないかと思うわけです。「えっ、そんなことも知らないの?」とみなさんも思ったりしたことはないでしょうか?逆に、これさえもっと早く知っていれば、もっと楽できたのに、と思ったり。



この悲しい現象も、専門領域の細分化と情報の劇的な増加による、逆説的な、でも、必然的な結果ではないかと思うわけです。これだけ、情報が豊かになったのに、逆に、その当たり前が使いこなせなくなってしまうというのも何とも皮肉です。



でも、なぜ、こんなことがおきてしまうのでしょうか?



まず、第一に、そもそも専門分野が増えたおかげで、「当たり前」が増えすぎた。だとすれば、全ての人が「当たり前」をカバーできることは不可能になってきているわけです。ある人にとってのものすごく当たり前なことは、すぐ隣の人にとっては宇宙語。



もうひとつは、情報が多すぎると、頭の中できちっと理解しようとしないからだと思います。たとえば、学校で膨大な読み物を課されたとしたら、まあ斜め読みか、読まないかのどちらかで、結局何が書いてあったかは覚えていないでしょう。これと同じ原理です。



じつは、当たり前の知識が使いこなせない理由はいくつかのタイプがあると思います。



1. そもそも知らなかった

2.知っていたけど、使おうと思わなかった

3.知っていたけど、使おうと思ったけど、使いこなせない



それぞれに対応策が違ってきますが、冒頭の政治家のエピソードは、3.ですね。使いこなせるように勉強したり、自分で手に負えない場合は、それに精通している人を雇えばいいでしょう。



1も深遠な問題ですが、一番たちが悪いのは、2.だと思います。その当たり前の知識自体は知っているのですが、いざその知識が必要という状況になったとしても、その知識が役に立つと気付かないということです。



これは自分にもけっこうあって、あとで振り返ってみて、あの知識が使えたのにと思い出したりします。その場になると、知っていたはずの知識がすっと出てこないんですよね。



また、その知識自体は、知っているので、本で読んだり、人が聞いたとしても、「知っている知っている」と思い、その学びをさらに吸収せず、さらっと流してしまうのです。授業で聞いたとしても、そんなこと知っているよ、となってしまうわけです。



そんなわけで、情報は増えたのに、当たり前の知識が逆に使えないパラドックス、さあ、これはどう解決すればよいのでしょうか?

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