2009年5月2日土曜日

悲愴;アウシュビッツで感じる歴史の重み



「働けば自由になる」と書かれたアウシュビッツ収容所入り口。その空虚な言葉にとらわれの身となり、恐怖におびえる日々を送っていた人々は何と思っていたのだろうか。

死の壁-銃殺に日々使われていた壁。文字通りこの壁の前で、何千人以上の人が命を落としている。どこか、ここの空気は冷やかで、ピンと張り詰めたものがあるのは気のせいであろうか。うちの子供は、展示場には入らず、外を歩いているだけであったが、めずらしく「おウチかえりたーい」と連発していたのは、何かを感じていたのだろうか。


青空と新緑の中に、周囲ののどかな風景とは裏腹に、無機質に点在する収容所群。ここだけは、観光客の表情は、口を結んだままけわしい。だれもが、みな55年前のあまりにも壮絶な出来事に思いを馳せているようだ。ここは、負の世界遺産に登録されている、やはり特別な場所なのだ。


ここは、アウシュビッツから数キロ離れた第二収容所地帯。アウシュビッツでは足りなくなり、ここにさら広大な死の工場がどこまでも建設された。

この「死の門」をくぐる行き着く先は?その中でも、生き延びた人達もいる。彼らの特徴を抽出した研究があるそうだ。その特性とは、「愛」「美」「夢」を持ち続けた人なのだそうだ(Wikipedia アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の項を参照)。とても印象に残ったので、ここに転載しておくことにする。

人間の特性を探る研究に、アウシュヴィッツという過酷な状況のなかで「愛」「美」「夢」のいずれかを持続した人が生き残った、と結論付けるものがある。以下は、その研究を紹介した佐久間章行著『人類の滅亡と文明の崩壊の回避』p.218-219からの引用。


第二次大戦の勝利者である連合軍は、あの過酷なアウシュビッツの環境で最後まで生を維持させた人間の特性に興味を抱き調査団を組織した。その報告が正確であるならば、生命の維持力と身体的な強靭さの間には何の関係も見出せなかった。そして生命を最後まで維持させた人々の特性は次の3種類に分類された。第1の分類には、過酷な環境にあっても「愛」を実践した人々が属した。アウシュビッツの全員が飢えに苦しんでいる環境で、自分の乏しい食料を病人のために与えることを躊躇しないような人類愛に生きた人々が最後まで生存した。第2の分類には、絶望的な環境にあっても「美」を意識できた人々が属した。鉄格子の窓から見る若葉の芽生えや、軒を伝わる雨だれや、落葉の動きなどを美しいと感じる心を残していた人々が最後まで生存した。第3の分類には「夢」を捨てない人々が属した。戦争が終結したならばベルリンの目抜き通りにベーカリーを再開してドイツで一番に旨いパンを売ってやろう、この収容所を出られたならばカーネギーホールの舞台でショパンを演奏して観客の拍手を浴びたい、などの夢を抱くことができた人々が最後まで生存した。

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